「雨に唄えば」を観劇して表現力がなんたるかを知る。
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先日、たまたま早く仕事が上がれるようになったので、せっかく早く帰れるのならどこかに行きたいなと思い、渋谷ヒカリエ11階シアターオーブでやっていた「雨に唄えば」のミュージカルに行ってきました。
当日券はS席が売りに出されておりなかなか良い席で見ることができました。
映画は観たことありましたが、そもそも上演されているのもその日に知り、ロンドンのオリジナルメンバーが揃っているのは日本だけで、その最後の最後の追加公演で見ることができて非常にラッキーだった、ということは全く知らず全部後になってから知ることになります。
そんなミュージカルの感想、一言で
素晴らしかった。
最後のシーンとかグッときてちょっと涙潤んでました。
知ってる話なのに。
雨が本当に降ってきて、その中びしょびしょになりながら踊るアダム・クーパーのダンスは本当に素晴らしいんですが、その他のキャストも含めてダンス、歌、演技、何もかもに説得力がありました。
最後にスタンディングオベーションが起こったのも納得です。
このミュージカルをみて「表現力とは何か」というものがものすごくスッキリしました。
よく「このアーティストは表現力がすごい」と言われたりしますが、「表現力」って何だろう?ってずっと思っていました。でもよくよく考えると、とてもシンプルなことだったんだなと気づきました。
結局、その文字どおり「伝えようとするものを表現する力」のこと。
悲しいシーンなら悲しい気持ちを、楽しいシーンなら楽しい気持ちを。
ただそれを観客に「誰がどう観てもそう見える」というところまで表現する力なんだなと。
歌に関しても同じで、下手でも伝えたいものが伝わるのであれば、それは表現できているということになります。「雨に唄えば」でも1人歌の下手なキャラクターがいて、「わざと下手に聞こえるように」役者さんは歌います。それは「この人は下手である」ということを表現しているわけで、その人がうまくてはいけないんです。
時々、「歌唱力」と「表現力」がごっちゃにされているような気もするんですが、完全にその二つは別物だと思いました。歌唱力は表現のためのツールであると考えると、「下手なのになんだか心に響く歌い手」逆に「上手いのに響かない歌い手」がいることに関してスッキリ理解できます。
ちょっと話が逸れましたが、それほどまでに一つ一つのシーンが淀みなく、引っかかりなく表現されていて、どんどん世界に引き込まれてしまう、そんな舞台でした。
最近アイドルばっかり見ていて、「未熟ながらもほとばしるエネルギー」みたいなのものばっかり浴びてきましたが、完全に体をコントロールするプロフェッショナルたちが作り上げる舞台は、ちょっと多幸感のレベルが違いました。
アイドルはアイドルで楽しいんですが、やはり定期的にレベルの高いものも見ておかねばならないなと思った次第です。
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